花鳥風月さん 局面が変わりました
昨年7月いっぱいで退職し、すぐに仕事先を見つけようと動いていたのですが、8月の終わり頃に肩関節周囲炎を発症し、痛くて眠れないので、手術(マニュピレーション)をしました。
その後、2,3か月ほど、整形外科に通いリハビリをしていました。今は、肩関節周囲炎は完治しました。その間は、教会に通いつつも奇跡のコースという書籍を中心に学んでいました。
その後、ハローワークにも行ったりしていたのですが、1月1日に能登で地震が起きました。北陸在住なのですが、震度5強と結構な揺れを観測し、怖い思いをしました。
その後は風邪をひき1週間ほど寝込んでいました。母も風邪をひき、同じように寝込んでいました。いったん、私と同じように回復したのですが、1月の27日頃まで、母は調子が悪くなっていき、自分も風邪だとばかり思っていたのですが、おかゆを作っても、りんごをすり下ろしても食べてくれない・・。熱はなく、黒い便の下痢が続き、何も食べない状態が続いたのですが、近くの病院で風邪薬をもらっていたこともあって、風邪をこじらせていたのだとばかり思っていました。(熱が出ず、風邪症状だということで、コロナとインフルエンザの検査だけして、薬だけもらって帰ってきている状態)
さすがにまずくなってきたので、夜に救急で病院に連れて行ったのですが、検査をした所、栄養状態が極めて悪く、炎症反応が尋常ではなく高く、腎機能障害も出ていて大変な状況になっていました。その後の詳細は省きますが、入院して、最初の内は回復を見せたのですが、治療も裏目裏目に出て、2月9日に、85歳で母は帰らぬ人となりました。敗血症による多臓器不全です。
10日程の入院でしたが、毎日妹と二人で泣きながら病院に行き、やることなすことで先生の絶望的な見解を聞き、泣きながら帰ってくるという毎日でした。自分が気づいて病院に行き検査さえすれば、簡単に防げただけに、ただただ申し訳なくて、申し訳なくて、辛くて辛くて後悔しました。二人で一緒に生活していた時間が長く、お互いに愛情をもって接していたので、私から言い残したことはないのですが、最後は後悔してもしきれません。
その後、神式での葬儀を終え、名義変更や支払い口座の変更などの手続きを進め、相続関係を手続きを進めているところです。
一部満期の保険金で大きなお金があり、母の今後の介護と、あとは、私に残してくれた面もあるのですが、遺言書がないため、嫁いだ妹にも分配しなくてはなりません。普段元気な母親で、かかりつけ医での定期検査でも、どこも異常はなく、入院もしたことがなく、本人も私も、もっともっと長生きする前提でいました。妹には、今後の生活に不安があるため、少し多めの配分でお願いできないか、と、申し出ているのですが、妹に叱られ、罵倒され、責め立てられ、かといって、妹の機嫌を損ねてはならず、辛い局面です。普段、仲が悪い兄弟ではないですが、相続のことも、心が休まる日がありません。まだ、終えていませんが、二度とやりたくないです・・・。(妹は旦那さんがしっかり資産を持っているので大丈夫だと思うのですが、財布が別になっており、そういうわけにもいかないみたいです・・・。)
今までは、母とは持ちつ持たれつで、母の年金で生活していました。一軒家の維持費と生活費として、年間140万円ほどは稼がないといけません。焦ってはいけないですが、65歳まで、何とか生活を維持していかないといけません。ある程度まとまった金額のお金は入るので、一部を運用にまわし、後は老後に残しておこうと思うのですが、今の生活と家を維持していかないといけません。
母を失った喪失感と、今後の不安・・・。焦り・・・。
こちらからお願いするばかりで、いつも申し訳なく思っているのですが、妹との関係を含めた相続についてと、今後の生活や仕事に関してアドバイス戴けないでしょうか?将来に対する不安・・・、大きいです・・・。
よろしくお願いいたします。
母の生年月日
1938年10月3日 福井県越前市生まれ
妹の生年月日
1974年12月3日 15時38分 福井市生まれ
私の生年月日
1972年4月20 15時21分 福井市生まれ