Arunaさん
長らくお待たせいたしました。
・今後の人生の道行と指針
・何かしら生きる理由や使命など
・とにかく自分を知りたいという思い
といった点について、インド占星術でいろいろな側面から見させていただきました。
まず、一つArunaさんのチャートを見て確かに言えそうなことは、
「葛藤の中で培われる大切なもの」を、今生は得ようと心に決めて、生まれてこられたのではないかと見えます。
Arunaさんのチャートのさまざまな側面から、
葛藤や苦闘の相が見えます。
これは、Arunaさんご自身のお言葉でも語っていただいているところですが、
それは確かにチャートでも確認されます。
インド占星術は、「人は生まれ変わる」ということが基本的観点として据えられています。
人の人生が一度きりであったら、いかばかりか不平等の極みであり、
救われ難き人生がこの世界に無数にあります。
しかし、輪廻転生という大きな流れの視点で捉えると、
一つ一つの人生は、重要な一歩一歩であり、
一見非常に不遇に見える人生が、
実は大きな流れの中で、非常に重要で得難い学びの人生であると見えてくることがしばしばです。
そのような視点から、
Arunaさんの今回の人生は、
非常に大きな、深い学びの機会と捉えられます。
得難き教訓を得るため、大きな決意と勇気を持って、今世の誕生に臨まれたのではないかと、
チャートからも伺えます。
Arunaさんの本質的勇気に敬意を表させていただきます。
では、何をその葛藤から得ようと計画されたのでしょうか。
それは一つに、「人間理解」ではないかと思われます。
苦しみを通して、人の心・悲しみ苦しみのなんたるかが、魂に刻印される機会となっているように伺えます。
それは魂の深みで静かに醸成され、得難き認識の光を放つ宝となりつつあるのではないでしょうか。
そのように拝察されます。
もしかしたら、それが十全に光を放つのは今世以降が本番なのかもしれません。
人はなぜ、そのような苦しき道を、時に歩まねばならぬのでしょうか。
ひとつにそれは、人類同胞への本質的愛を涵養するという普遍的学習の道程と言えそうです。
なぜArunaさんは、今世このような道を歩まねばならなかったのでしょう。
愛ゆえにこそ、と言えそうです。
そしてそれは「慈悲」という言葉に言い換えられそうです。
「慈しみ」の文字は「愛」に近く見える言葉です。
しかし「悲しみ」の文字は、なぜ「慈悲」の中に入っているのでしょうか。
その辺りが、今回のArunaさんの人生の課題と相呼応する点と見えます。
悲しみを通して、慈悲の心が培われる。
そのことが、この人生を通して、Arunaさんの本質的魂と、Arunaさんを支え導く物理的には見えない方々が、
企図されたことではないかと伺えます。
「人間理解の深化」「慈悲心の涵養」「精神の陶冶」などが、
今世、心身両面で高いチャレンジのある人生を選択してこられた中での、
発達課題であるのではないかと思われます。
(「発達課題」とは、幼少期から青年期にかけてなどの、各時期における諸課題といった教育用語ですが、
ここでは、「長き輪廻転生における、一つ一つの人生で与えられる課題」という意味に敷衍した言葉として使わせていただきました)
また少し視点を変えてみると、
Arunaさんに美的センスが見られます。
そのことはご専攻やお仕事にも現れてきておられますね。
ただ、一般的な美的感覚の世界では飽き足らないものがおありのようです。
Arunaさんにとって、精神性は抜くべからざる要素ではないでしょうか。
霊性ともそれは、もしかしたら表現されるかもしれません。
ただ、現実面・社会性などとの狭間の中で、調整に苦労してこられた相がまた、見てとられます。
持ち前の美的センスを、ご自身の表現として、
葛藤の中でまた、形にしてゆかれることも、価値のある取り組みとなるのではないでしょうか。
きっとArunaさんならではの表現が、切り口がおありなのだと思います。
それはすでに種が蒔かれ続けてきているようにも伺えます。
来年の暮れ頃から、
もしかしたら更に、身体的にきつい時期を迎えられるのかもしれません。
そのような中で、どうぞご自愛と、祈りを強められて下さい。
Arunaさんにとって、祈りは友です。
ご縁ある何らかの形式の祈りでも、魂の叫びのような祈りでも。
真摯な祈りは、その内奥の本質をこそ、天は受け取られます。
ご自身の率直な苦しみの救済を、ぜひお祈りください。
また、目に付く、心に浮かぶ、どなたかへ、もしくは何らかの対象への助力を、
ぜひ祈りとして傾けてみて下さい。
自力での助力ではなく、他力的なご助力を願って。
Arunaさんにとって祈りは、
何生にもわたる友のはずです。
その身は小さき身であっても
大いなる救済を内外に願うその大願を
どうぞ大事にしてゆかれて下さい。
何かへのこだわりは、積極的に活かせる方向へ持っていってあげると、
良さそうです。
一途さは、苦しみや軋轢の種ともなれば
希望の大樹へも転じ得ます。
命ある限り、
しぶとく、粘り強く、
祈り励みながら、
葛藤の中に積極的意味と価値を見出し、
与えられた天命を全うしてゆかれますように。
いかにこの世において身寄りのない時も、
常に支え導く御手があるはずです。
これまでやってこられたのも、そのような幾多の御手が差し伸べられてのこととも思われます。
苦しみの中で、
人知れず、
我も知らず、
培われつつあるその光を、
どうぞ大切になさって下さい。
祈りを共として、祈りと共に歩まれますように。
少し長くなりましたが、まずはご返信まで。